ご奉仕したにゃん。
前の記事で伝えたボランティア活動ですが何とか切り抜けることが出来ました。ではその日いったい何があったのか、そしてボランティア活動で得られたものはいったいなんだったのかを振り返ってみたいと思います。
朝早く起こされて血圧の低い(上が90くらい)私は朝からグロッキー状態。俗に言うレイプ目で風呂に入ったりご飯を食べたりして子供達との戦いに備えました。
「なるべく汚い格好」というなかなか難しい注文を出されましたが顔が汚いのでまさに顔パス。いくら着飾っても顔がアレならという理由で。まぁ他のボランティアの人もたいして汚い格好などしてなかったので安心。
集合場所で他のボランティアの日本人の方とご挨拶。日本語で他人と会話できるのがこんなにも素晴らしいことなんだと思いました。
車で約1時間。スラムというに相応しい場所に着きました。途中とても大きな道をひた走り、その道にこれまた巨大なキリスト教の教会が立っていたことを覚えています。
スラムはジャンクショップが立ち並び、ゴミ山がそびえ立っていました。きっとこのゴミ山からジャンクを拾って生計を立てているのでしょう。もちろん着いてすぐは臭くて辛かったですが、ものの数分でなれました。人間の可能性を思い知らされました。
学校に到着すると子供達はすでに到着していました。フィリピンの義務教育(小学校までだったかな?)は日本と同様でほぼ無料で受けられるそうですが、その日は「それすら受けられない」子供が集まっていたそうです。普段はおそらく上記のジャンクを拾ったりして働いているので教育が受けられないのでしょう。
集まった子供はほとんどが10歳以下に見えました。こんな子供が教育を受ける時間も惜しんで働いているかと考えると自分がいかに恵まれていたかが何となく分かります。
最初は折り紙を教えました。作ったのはカエルと紙飛行機。バンバン進める子供もいればついていけない子供もいて、その辺はどの国も変わらないのでしょう。
ちなみに僕は教えるたちばであったはずですが、ほとんど付いていけない側の人間に成り果てていました。Origami is very difficult for me!
もちろん教えたりもしましたが、子供はタガログ語と少しの英語しか分からないらしく苦労しました。僕も英語が出来ないのでお互い様でしたが。
次は剣玉。やり方を教えるはずでしたが、ことごとく失敗。まぁなんとなく理解してくれたようでよかったです。すごい上手な子供が数名。
なんと剣玉は中学生や大人の人にも受けていました。本来参加していなかったはずの子供達のお母さん数名やおそらく先生、ついでに手伝いに来てくれた現地のボランティアの方も熱心に遊んでいました。成功すれば抱き合って大喜び。私も懸命にやりましたが得たものは激しい筋肉痛だけでした。
すごいぞ剣玉!次のWiiかDSのソフトは腕を鍛える大人の剣玉トレーニングで決まりだ!(Nintendoさんゲーム化して売れたら僕にもなんかください。)
他に駒、だるま落とし、竹とんぼ、紙風船、トントン相撲、ヨーヨーを持っていったようで、こちらも大変好評でした。
私は子供に付き合って紙風船を懸命にしましたがやはり得たものは筋肉痛でした。
午前中に低学年の子供と1時間半、午後に高学年の子供と1時間半、合計3時間のハードワークでした。
お昼ごはんは現地のものは食あたりを起こす可能性があるということで薦められませんでしたが、魚の煮付けを1匹いただきました。胃腸の弱い私でしたが現在何も起こってないところを見ると、意外に普通のものを食べていることが分かりました。味は少し薄かったもののおいしかったです。ちなみに子供はほとんど「ご飯が食べられるから」という理由できているそうです。
その子供達のご飯の量のすごいことすごいこと。僕の2食、いや3食分くらいのご飯を平気で平らげていました。それもすごいスピードで。おかずは上の魚の煮つけで。
ちなみに現地の人にいなり寿司をあげたところ、あまり好評でなかったようで神妙な面持ちで食べていました。NATTOを持っていけば大変なことになっていたでしょう。
さまざまな子供と遊びましたが、名前を覚えてもらったり女の子に抱きつかれたりといろいろいい夢見させてもらったぜ。(ただしなぜかTakiと呼ばれてました。可能な範囲でTakaだと修正しましたが。)
3次元もいけるロリコンこと愉快で気さくな子供好き達はこういう仕事やボランティアに参加するといいのではないでしょうか。
理由はどうあれ子供にはおそらくプラスになるでしょう。ただしこういうところに行って子供を買う屑は含みません。ルールを守って楽しいロリコン。
とりあえず僕が将来ユニセフの親善大使やそういうボランティア関係の非営利団体に属したとき、自伝にこのことを書いて「この経験が僕を今の職業に就かせました。」と書くつもりです。
こぼれ話
当初剣玉やヨーヨーなどがすべて帰ってくるとは思っておらず、2、3個減ってもいいかなというスタンスだったそうですが、予想に反しなんと完全返却。ちなみに子供に貸したペンもきちんと返却されました。
スラムだからとか教育を受けてないとかそういうものが子供を曲げるわけではないのでしょう。彼らの見方が変わりました。
私の名前は現地の人に言わせると非常に長いらしく「ニックネームは無いのか?」と良く聞かれていたので現在は「Taka」と名乗っています。
もちろん学校でもたかと呼ばれています。
朝早く起こされて血圧の低い(上が90くらい)私は朝からグロッキー状態。俗に言うレイプ目で風呂に入ったりご飯を食べたりして子供達との戦いに備えました。
「なるべく汚い格好」というなかなか難しい注文を出されましたが顔が汚いのでまさに顔パス。いくら着飾っても顔がアレならという理由で。まぁ他のボランティアの人もたいして汚い格好などしてなかったので安心。
集合場所で他のボランティアの日本人の方とご挨拶。日本語で他人と会話できるのがこんなにも素晴らしいことなんだと思いました。
車で約1時間。スラムというに相応しい場所に着きました。途中とても大きな道をひた走り、その道にこれまた巨大なキリスト教の教会が立っていたことを覚えています。
スラムはジャンクショップが立ち並び、ゴミ山がそびえ立っていました。きっとこのゴミ山からジャンクを拾って生計を立てているのでしょう。もちろん着いてすぐは臭くて辛かったですが、ものの数分でなれました。人間の可能性を思い知らされました。
学校に到着すると子供達はすでに到着していました。フィリピンの義務教育(小学校までだったかな?)は日本と同様でほぼ無料で受けられるそうですが、その日は「それすら受けられない」子供が集まっていたそうです。普段はおそらく上記のジャンクを拾ったりして働いているので教育が受けられないのでしょう。
集まった子供はほとんどが10歳以下に見えました。こんな子供が教育を受ける時間も惜しんで働いているかと考えると自分がいかに恵まれていたかが何となく分かります。
最初は折り紙を教えました。作ったのはカエルと紙飛行機。バンバン進める子供もいればついていけない子供もいて、その辺はどの国も変わらないのでしょう。
ちなみに僕は教えるたちばであったはずですが、ほとんど付いていけない側の人間に成り果てていました。Origami is very difficult for me!
もちろん教えたりもしましたが、子供はタガログ語と少しの英語しか分からないらしく苦労しました。僕も英語が出来ないのでお互い様でしたが。
次は剣玉。やり方を教えるはずでしたが、ことごとく失敗。まぁなんとなく理解してくれたようでよかったです。すごい上手な子供が数名。
なんと剣玉は中学生や大人の人にも受けていました。本来参加していなかったはずの子供達のお母さん数名やおそらく先生、ついでに手伝いに来てくれた現地のボランティアの方も熱心に遊んでいました。成功すれば抱き合って大喜び。私も懸命にやりましたが得たものは激しい筋肉痛だけでした。
すごいぞ剣玉!次のWiiかDSのソフトは腕を鍛える大人の剣玉トレーニングで決まりだ!(Nintendoさんゲーム化して売れたら僕にもなんかください。)
他に駒、だるま落とし、竹とんぼ、紙風船、トントン相撲、ヨーヨーを持っていったようで、こちらも大変好評でした。
私は子供に付き合って紙風船を懸命にしましたがやはり得たものは筋肉痛でした。
午前中に低学年の子供と1時間半、午後に高学年の子供と1時間半、合計3時間のハードワークでした。
お昼ごはんは現地のものは食あたりを起こす可能性があるということで薦められませんでしたが、魚の煮付けを1匹いただきました。胃腸の弱い私でしたが現在何も起こってないところを見ると、意外に普通のものを食べていることが分かりました。味は少し薄かったもののおいしかったです。ちなみに子供はほとんど「ご飯が食べられるから」という理由できているそうです。
その子供達のご飯の量のすごいことすごいこと。僕の2食、いや3食分くらいのご飯を平気で平らげていました。それもすごいスピードで。おかずは上の魚の煮つけで。
ちなみに現地の人にいなり寿司をあげたところ、あまり好評でなかったようで神妙な面持ちで食べていました。NATTOを持っていけば大変なことになっていたでしょう。
さまざまな子供と遊びましたが、名前を覚えてもらったり女の子に抱きつかれたりといろいろいい夢見させてもらったぜ。(ただしなぜかTakiと呼ばれてました。可能な範囲でTakaだと修正しましたが。)
3次元もいけるロリコンこと愉快で気さくな子供好き達はこういう仕事やボランティアに参加するといいのではないでしょうか。
理由はどうあれ子供にはおそらくプラスになるでしょう。ただしこういうところに行って子供を買う屑は含みません。ルールを守って楽しいロリコン。
とりあえず僕が将来ユニセフの親善大使やそういうボランティア関係の非営利団体に属したとき、自伝にこのことを書いて「この経験が僕を今の職業に就かせました。」と書くつもりです。
こぼれ話
当初剣玉やヨーヨーなどがすべて帰ってくるとは思っておらず、2、3個減ってもいいかなというスタンスだったそうですが、予想に反しなんと完全返却。ちなみに子供に貸したペンもきちんと返却されました。
スラムだからとか教育を受けてないとかそういうものが子供を曲げるわけではないのでしょう。彼らの見方が変わりました。
私の名前は現地の人に言わせると非常に長いらしく「ニックネームは無いのか?」と良く聞かれていたので現在は「Taka」と名乗っています。
もちろん学校でもたかと呼ばれています。
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